危機とGold⑰
シニアアナリスト 増田 悦佐
一橋大学大学院経済学研究科修了後、
ジョンズ・ホプキンス大学大学院で歴史学・経済学の博士課程修了。
ニューヨーク州立大学助教授を経て、外資系証券会社でアナリストをつとめ、
2008年より株式会社ジパングに参画。
「金価格は陰謀で動く」という説を信じるべきでしょうか?
さて、金という大昔からあまりにも多くの人間がそれぞれの思いをこめてかき集め、溜めこんできた資産を語る以上、「金と陰謀」という切り口を避けて通ることはできないでしょう。実際に、たとえば株や債券の市場と比べると、金市場には市場規模から言えば不釣合いなほど多くの陰謀伝説が語りつがれてきました。
中でも、少なくとも近代市場経済の成立より2~3世紀早くから流布してきたのが、「どこかの邪悪な大銀行家、あるいは秘密結社が人類全体を支配するという野望を実現する手段として、世界中の金を買い占めている」という主張です。読者のみなさんの中にも、ユダヤ系巨大金融資本の総元締めであるロスチャイルド家が金市場を牛耳っているとか、いやフリーメーソンだとか、イルミナティだとかいううわさを耳にされた方がいらっしゃるでしょう。
今でも金市場というと、「得体のしれない陰謀家集団に引きずり回されている、危険なマーケット」という印象で尻込みする方が多いようです。もし、「この市場には陰謀家が徘徊しているといううわさは事実か」と聞かれたら、正直な答えはイエスです。でも、問題の核心はそこにはないのです。どんなに強力な陰謀家集団といえども、金の価格を操作することはできません。それがいちばん肝心な事実なのです。
陰謀家による「世界征服」の方法論として、代替通貨、世界通貨、本位通貨など表現はなんでもいいですが、通貨準備の一形態としての金地金の買占めを図るというのは、とんでもなく愚劣な方針です。ほんのちょっとでもマーケット・メカニズムを分かっている人間なら絶対に手も出さないし、信用もしないタイプの「お話」に過ぎません。
秘密結社が金市場を牛耳っているという話は荒唐無稽です
順序立ててご説明しましょう。まず、フリーメーソンやイルミナティといった秘密結社が世界を支配するために金市場を操作しているというお話が、いかに荒唐無稽かというところから始めます。
フリーメーソンの起源は、古代エジプトまでさかのぼると言われています。メーソンというのは、英語で石工(いしく)のことです。ピラミッドや城砦などの建造に従事した石工たちは、抜け道や構造的な弱点を知っているので秘密を守ろうとする権力者に完成後殺されてしまうことが多かったそうです。そこで、石工の親方たちが自衛のために独特の合言葉や身振り手振りで確認し合う秘密結社をつくって極秘情報の交換システムをつくり、自分たちの身の安全を確保してきたというのが、フリーメーソン誕生の由来と言われています。
この誕生秘話の真偽はともかく、中世後期には王制の転覆とか、教会権力の打破といった公言すれば自分の身が危うくなるような主張を持った人々が細々と身を寄せ合う組織、秘密結社としてフリーメーソンが存在していたことは事実です。そういう意味では、系図は由緒正しいけど食いつめてしまった貧乏貴族を客寄せに使って一儲けたくらんだだけの詐欺というのが偽らざる実態の、数々の「騎士団」再興の試みに比べればずっと素性のしっかりした結社だと言えるでしょう。
そのフリーメーソンの組織に、18世紀なかばごろから王制の打倒と貴族・僧侶階級の根絶を標榜する当時としては過激な自由主義者、共和主義者が大量に入りこんでいきました。1789年に勃発したフランス革命直前には、ヨーロッパの啓蒙主義的な知識人たちのあいだで、この結社に入ることが大流行していたようです。フランス革命の指導者たちの大部分がフリーメーソンだったという話には、多少の誇張があるかもしれません。でも、それほど実態とかけ離れた認識ではないと思います。
また、同じころフランスと並ぶヨーロッパの超大国だったハプスブルク帝国でも、フリーメーソンのメンバーが激増していたようです。ただ、こちらは古今東西有数の政治力を持つ女帝だったマリア・テレジアのだんなさんと長女、それに最愛の子でもありのちにヨーゼフ二世として帝位を継承する息子までメンバーになってしまったという複雑な宮中の事情がありました。そこで、マリア・テレジアが何かにつけてフリーメーソンを目の敵にしていたので、ヨーロッパ中でフリーメーソンの存在感が現実の姿よりはるかに大きくふくらまされてしまったという説も有力です。
当時ハプスブルク宮廷出入りの音楽師だったアマデウス・モーツァルトも、フリーメーソンの一員でした。音楽好きの方は、モーツァルトが最後に作曲したオペラ『魔笛』が門外不出の秘密だったはずのフリーメーソンの入会儀礼や昇級儀礼を暴露してしまったために、モーツァルトはメーソンの一員に暗殺されてしまうほどの憤激を買ったというエピソードをご存じかもしれません。もちろん、モーツァルトの夭折が暗殺されたためだったというのは、根も葉もないウソなのですが。
興味深いのは、なぜヨーロッパ中のフリーメーソンたちがモーツァルトによる内情暴露に激怒したかというところです。この組織にかぎらず秘密結社はみなそうですが、力の源泉は、傘下のメンバーがどのくらいの人数になるのかも、どのくらいの資金を持っているのかも公表せず、ときおり「どこそこのロッジ(支部)がヨーロッパ中の王制打倒と、貴族階級や僧侶階級の絶滅を決議した」というようなうわさだけがどこからともなく漂ってくることにあります。
でも、モーツァルトのオペラは、そういう不穏なうわさの震源地であるフリーメーソンの組織が、「自由にして平等なる共和制の樹立」といった過激なスローガンを掲げながら、じつは現実の貴族制を戯画化したようなきゅうくつな階級に縛られた組織であることを暴露してしまったのです。しかも、メンバーたちは実際に王制や帝政を打倒することより、兵隊ごっこのような儀式にのっとって組織の中で昇進することのほうに夢中だというわけです。
このフリーメーソンが、自由主義、平等主義を標榜しながら、子どもの遊びのような階級ごっこにうつつを抜かす人たちの集まりだと暴き出してしまったことが、モーツァルトがヨーロッパ中のフリーメーソンの逆鱗に触れた最大の理由でしょう。そして、これがヨーロッパでいちばん成功した秘密結社の実態なのです。
もちろん、フリーメーソンには、たしかに当時の西欧社会よりはるかに進んだ点もありました。たとえば、中世ヨーロッパ人の思考様式の中では本当に珍しいのですが、かなり昔からユダヤ人をまったく差別せずに正規のメンバーとして受け入れていたようです。
この伝統は、アメリカに渡ったメーソンたちにも受け継がれました。南部の奴隷制を擁護しながら戦われたアメリカ独立戦争の時代から、フリーメーソンは奴隷制の打破と、黒人にも自由人としての権利を平等に付与することを主張していました。そして、きちんとした生業を営み自力で食っていける黒人であれば、正規メンバーとして受け入れていました。
独立戦争当時から20世紀初頭までのアメリカ社会で、任意加入の団体でほとんど黒人に対する差別をしなかったのはフリーメーソンくらいのものだったようです。ですから、アメリカで中産階級以上に這い上がることに成功した黒人は、大挙してフリーメーソンに加入しました。この伝統は今でも生きています。現代アメリカ社会におけるフリーメーソンの重要な意義は、中産階級以上の黒人の親睦団体としてはアメリカ最大規模であることでしょう。
陰謀論では、なぜ秘密結社が金市場を支配していることになるのでしょうか?
実態はこの程度の組織であるフリーメーソンが、いったいなぜ、そしてまたどのような資金源を動かして、金市場をあやつっているというのでしょうか。陰謀論のお好きな方々は「いや、他愛のない階級ごっこを楽しむ親睦団体というのはあくまでも表向きの姿であって、実態は世界征服をたくらむ、あるいはもう世界を支配下に収めてしまった凄腕の陰謀家集団なのだ」とおっしゃいます。
でも、いつ、どこで王制と教会支配に抗する自由主義、平等主義、共和主義の秘密結社が、世界征服をたくらむ陰謀家集団に変わってしまったのでしょうか。「自由にして平等なる共和制の確立」という目標がほぼ達成されてしまったので、秘密結社によってしか実現できないほど過激な思想を持ちつづけるために、本来の趣旨とは正反対の世界帝国の樹立という方向に宗旨替えしたのでしょうか。
この疑問に対して、世の中の動きはほとんど全部フリーメーソンの陰謀で説明できると主張する人たちは、驚くべき回答をします。「いや、自由、平等、共和制といった建前は、すべてフランスの絶対王政や、ハプスブルク帝国の強大な権力に揺さぶりをかけるために言っていただけの目くらましで、本心では初めから世界帝国の樹立を目標としていたのだ」というわけです。
もし本当にそうだとすれば、フリーメーソンというのは、とんでもなく間抜けな陰謀家集団だということになります。フランスの王制やハプスブルク家の帝政に言いがかりをつけて、もっと強固な権力を打ちたてるために採用しただけのスローガンだったはずの自由、平等、共和制の方向に世の中全体が流れていくのを、押しとどめることもできず手をこまぬいて見ていただけなのですから。
そういう間抜け集団が、「もう一度世界帝国樹立に向けて陰謀をめぐらせている」とか、「いや、すでに世界支配を完成させてしまった」とか聞かされても、まあせいぜい頑張ってくださいとしか挨拶のしようがありません。
こういう荒唐無稽な与太話に比べて、有力な金融グループがいくつか結託して、金や銀などの貴金属市場を支配しようとしてきた、あるいは今でも支配しようとしているという話には、はるかに具体性があります。
そのグループ全体が、たとえばロスチャイルド家のような特定の人々の意のままにあやつられているということになると、またまた眉に唾をつけて聞くべき話ですが。というのも、もし一人の人間なり特定の組織の意思のもとで統率されたグループの行動なら、市場支配のために謀議をめぐらすなどという危ない橋を渡る必要はないはずだからです。
おりにふれて、市場を支配するための共同謀議がこらされること自体が、この市場を支配する人も組織も存在しない証拠だと言えるでしょう。
でも、実際問題として、買い占めによって金市場を支配することは可能なのでしょうか?
金の買占めは可能でしょうか
まず、下の表をご覧ください。金価格が本格的に高騰しはじめる直前の2007年1年間で、どれだけの金がどのような用途に消費されたかを示したものです。

3558.3トンというこの年の消費量を使途別に分けると、宝飾品が圧倒的に大きくて67.4%、続いて工業用原料・歯科用材料が13.0%、小口投資用が12.5%、金で組成されたETFの裏付け資産として7.1%という構成でした。さて、この年の金の年間生産高はというと、2473.2トンだったのです。
お気づきのように、年間の消費量が生産高を大きく上回っています。ここで直ちに「さあ大変だ。金消費者の約3分の1はニセものをつかまされているに違いない」と思ったら、それは早とちりです。金だけではなく、銀でも、プラチナでも同じことですが、貴金属資産の利点はいったん採掘されたら、どういうかたちで利用されているものでも鋳潰して再利用ができるという融通性にあります。つまり、毎年消費される金の総量は、かなりの量になる中古市場に出てきた金の再利用を含む数字なので、その年の生産量より大きくて当然なのです。
ちなみに、2007年の中古スクラップ再利用を含む金加工量は、3089.4トンでした。消費量のうち、小口投資用の延べ棒と、ETFの裏付け資産用は山元から売り渡された状態以上の加工は必要がないので、この2項目を引いた消費量をチェックすると、3069.4トンとなり、統計的にあまり意味のない誤差20トンを別にすれば、勘定があいます。
もう一つ注目していただきたいのが、これら2つのデータシリーズからは各国中央銀行および国際協調金融機関(たとえばIMF・世界銀行や国際決済銀行)といった組織の金需要は除外されているという事実です。この年の中央銀行その他の金需要は、例年どおりマイナスでした。つまり、金市場で売り越していたわけです。したがって、中古金のスクラップ再加工の量は3089.4トン引く2473.2トンの616.2トンより少なかったと推定されます。
もう一度表にもどると、金の投資需要というのは、いまや欧米の株や債券といった金融市場では本当に影が薄くなった、個人投資家の存在感がけっこう大きな市場だと分かります。つまり、日本で言えば財務省造幣局に当たる各国の機関がそのまま貨幣として流通することを念頭において造った公式コインと、民間企業が造ったメダル/記念コインの合計がほぼ正確に200トンで、ETFを除く小口投資需要の約45%を占めています。2006~07年の段階では、ごく少数の機関投資家が延べ棒は買っていたでしょうが、公式コインやメダル/記念コインのたぐいにはほとんど手を出していなかったはずです。
日本の個人投資家は株や不動産で機関投資家よりよっぽどいい成績を挙げてきましたから、金にすがりつくという雰囲気はありません。ですが、とくに1990年代後半以降、欧米の個人投資家は巨大機関投資家にいいようにおもちゃにされて、株や不動産の投資実績は惨憺たるものでした。だからこそ、日本では個人投資家の金に関する投資意欲が低いし、逆に欧米の個人投資家にとっては、金市場は機関投資家に一泡吹かせることができる最後の砦という感じでがんばっているのです。
金価格を買い占めで操作しようとするのがいかに無謀か、ご説明しましょう
どんなに巨大な機関投資家でも、金を買い占めようとすることがいかに危険なことか、ご説明していきましょう。
まず、世界中の中央銀行や国際協調金融機関が保有している金準備の総量が、アメリカの8000トン超を筆頭に約3万トンと推計されています。アメリカの金保有量はもっと少なくなっているはずだという議論もありますが、ここではその論争には立ち入らないでおきましょう。
一方、民間企業や個人が投資用に買い進めてきた量が、年間で500~600トンです。このうち延べ棒を買い占めるのは簡単でしょうが、零細個人投資家向けのコインやメダルまで買い占めようとすると大変な手間を必要とします。
しかも、毎年の生産量とほぼ等しい量が、指輪やネックレスやブレスレットといった宝飾品需要として市場に吸収されているわけです。2008年までは、宝飾品需要は年間生産量とほぼ等しいか、ときには年間生産量を大きく上回る2200~3200トンという高水準で推移していました。
さすがに2009年は金価格の急騰で投資需要が伸びたあおりで、宝飾品需要のほうは年間1760トンと、近来まれな低水準にとどまりました。でも、その後は高値にもなれたのか、2010年が2017トン、2011年が1963トンと、年間2000トン前後のペースに戻っています。
とにかく2000~2008年の9年間だけで見ても、宝飾品として主として個人消費者によって溜めこまれた金が年間約2600トン、9年間の累計では2万3600トンに達していたのです。そして、金の場合、この宝飾品需要も投資需要と完全に切り離して考えることはできません。むしろ、「潜在」的投資需要と言ってもいいでしょう。
中国やインドの小金持ちが生活の余裕ができてくるとまず買い始めるのが金を使ったアクセサリーのたぐいだと言います。もちろん、いざというとき身に着けて持って逃げられるし、世界中どこでもしかるべき価値で換金できることが大きな魅力だからです。
しかし、これを投資用の金備蓄として世界中の小売宝飾品マーケットで買い集めようとしたら、とんでもない資金と暇がかかるでしょう。宝飾品としての金にはそれなりの加工がしてあります。名のある金細工師や一流ブランドのものなら、地金の価値と比較してもかなり大きな付加価値がついているでしょう。
買い手側としては鋳つぶして投資用の金として備蓄するつもりなら、こうした付加価値は全部ゼロと算定して買い占めたいところです。でも、売り手側は自分が払ったときの加工賃を上乗せした価格になっていなければ、おいそれと手放さないでしょう。
それと同時に、この宝飾品として溜めこまれた金のかなりの部分は、価格さえ折り合えば換金する用意がある個人の大金持ち・小金持ちに保有されているはずです。中央銀行や大手金融機関や大手金山会社などが持っている金だけが対象であるかのような買い占めをするということは、危険極まりない行為だということがお分かりいただけるでしょう。
なにしろ、現在までに採掘され、流通過程にあるか、あるいは退蔵されている金の総量、約17万トンのうち、通貨準備に使われているのはたった3万トンなのに対して、宝飾品はおそらく10万トンを下らないだろうと推定されているのです。本気で通貨準備としての金を買い占めにかかったら、値段につられて出てくる宝飾品の金も際限なく吸収していかなければなりません。
ようするに、通貨準備として各国金融機関に保有されている金だけを対象に買い占めを企てるのは、底の抜けたバケツで水をすくうようなものなのです。ロスチャイルド一族でも、デル・バンコ一味でも、金塊銀行五人組でもなんでもいいですが、特定のグループが世界征服のために金を買い占めようとしている、あるいはすでに買い占めに成功したといった陰謀論にはとてつもない論理の飛躍があります。単純に金市場の需給構成を見ただけで、無理な議論だとお分かりいただけるのではないでしょうか。
それでは、金と陰謀には何の関係もないのでしょうか? そうではないと思います。今もなお、本来市場の動きに任せておくべき金価格をなんとか操作しようとしている勢力は、厳然として存在しています。そして、彼らはこの目的を達成するために、非常に強力な共同謀議を推進しているのです。
※このレポートは投資勧誘を意図するものではありません。
投資の決定はご自身の判断と責任でなされますようお願い申し上げます。

